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春の予感 | ||||||||||||||||||
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春は「芽時」と呼ばれ、四季の中でもどこか不安定な心持になる季節です。一般的に、認知症の症状も強く出る時期だそうで、自律神経の失調を伴なって体調を崩す時期でもあります。これは僕らの祖先が、遠い昔「冬眠」から覚める時期と重なるそうで、その名残りによるものの様です 普通の人々は、この時季に意味不明な挙動に走ったりすることから「芽時だから、しょうがねぇなぁ」と諭されたりします。管理人も、歳でしょうか、このところ息子たちが未だ小さかった頃の何気ない風景をぼんやり思い浮かべたりしています。 何せ、これから先の時間より、今まで堆積した時間の方が遥かに多いのですから仕方ないですね。 先日もこんなことがありました....... |
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(ガレージ屋根裏のメイ) |
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当時高2の長男が、メイ(愛猫)を膝に抱えてダニをみつけていて、突然「バカでっかいの見つけたよ!」と・・・・次男耕介が潰そうとしたところで,,,「何するんだ!・・・という兄曜介の剣幕に「お兄ちゃんが見つけたダニだから、まっ、兄ちゃんの自由だ.!?」と言うわけで、このダニは、春風の吹く庭へ放たれ、悠然と去っていったのでありました.........(流石?仏教学科出身)。 |
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長男曜介がみつけた大ダニ |
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気が付くと、季節はすっかり春。街には柔らかい南風が吹いている。 こんな日は自転車に限る・・・・・・・・ 春と赤ン坊 中原中也「在りし日の歌」 菜の花畑で眠つてゐるのは…… 菜の花畑で吹かれてゐるのは…… 赤ン坊ではないでせうか? いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です 菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど 走つてゆくのは、自転車々々々 向ふの道を、走つてゆくのは 薄桃色の、風を切つて…… 薄桃色の、風を切つて しろくも 走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲 ――赤ン坊を畑に置いて |
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さて、春ですが、感受性の高い詩人は、この時季に多くの傑作を残しています。 春は、目に見えるビジュアルな風景と、それへの感情とが不思議と乖離する季節のような気がするのは僕だけでしょうか.............. 誰もが楽しめるシュチエーションなのに、何故だか悲しくて・悲しくて仕方がなかったりします。 春の光は、石のやうだ.............. と謳った中也の無意識が、ほんの少し理解できる季節でもあります。 「芽時」と呼ばれるこの季節は、自然な生態から、そのDNA の薄れた記憶を引きずりつつも限りなく離れてしまった僕たちが、失った記憶の再生に、春風のPWをもってログインできるような気がします。 |
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春の日の夕暮 トタンがセンベイ食べて 春の日の夕暮は穏かです アンダースローされた灰が蒼ざめて 春の日の夕暮は静かです ああ か か し 吁! 案山子はないか――あるまい いなな 馬嘶くか――嘶きもしまい ただただ月の光のヌメランとするまゝに 従順なのは 春の日の夕暮か がらん ポトホトと野の中に伽藍は紅く 荷馬車の車輪 油を失ひ 私が歴史的現在に物を云へば 嘲る嘲る 空と山とが 瓦が一枚 はぐれました これから春の日の夕暮は 無言ながら 前進します みずか 自らの 静脈管の中へです 中原中也「山羊の歌」
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