空間の偏り  
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11/25  空間の偏り 
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ガレージの上のメイ
猫にも利き腕があるのをご存じでしたか・・・・?

あるんです。我が家で飼っていたメイは右利きでした。ペンペン草で鼻面をくすぐると右手で払います。決して左手は使いません。いや、右前足利きというべきか。。

右利き左利きがあるように、左右上下の空間に偏りをもつのは、人が重力の働く地上で生活してきたためでしょうか・・・・それとも、天空で繰り広げられる日の出・日の入りや星座への親和性からでしょうか・・・・。

上座下座があるように、人は、空間の偏りに特別な意味をもたせてきました。

「上」は、聖なる領域、「下」は、俗なる領域など、時代によっても空間の偏りには、振り分けられた意味合いが違っています。なので空間をどう読むかで世界が違って見えてきます。この点に目を付けたのが、図像学を更に深めイコノロジー(図像解釈学)へと発展させたパノフスキーであり、そして20世紀最大のフランスの思想家M・フーコーでした。
 
   
日本坂道学会副会長(会員数2名;;)タモリ先生によると、坂道で暮らす人と、平地で暮らす人では、それぞれもつ思想が違ってくる・・・という。

崖の上に立ったものには、そこから石をなげうつことや、身を投げる自由が与えられる。それが、坂の高低差がもつ位置エネルギーとして、平地の人にはない自由と同時に不安をも手に入れ、その思想を形成するという。

さすが敬愛するタモリ先生、深いです。

因みにタモリ先生は、坂道で生まれた思想の典型が、実存思想の代表者キエルケゴールで、平地での思想の典型が、皮肉にも実存思想に強い影響を与えたハイデガーと仰っております。

そして、ハイデガーの「存在と時間」は、平地におけるフラットな時間と空間の連続の中で「存在とは何か」を問わざるを得なかった..............ということですが、この主書『存在と時間』は、シュバルツバルトの急斜面に立った家で思索し著したそうです。。じゃんじゃん♪(タモリ猛省;;;『Tokyo坂道』より)。

........... つづく
 






「道路と土手と塀」(切通之写生、現:渋谷区代々木4丁目)..........岸田劉生
 
11月25日
自称日本坂道学会副会長のタモリ先生ですが、坂道なら何でもいい訳ではなく同じ「坂」でも一級、二級といった等級がある様です。👆 の『Tokyo 坂道』の表紙の様な傾斜がきつく大きくカーブして先が見えない坂が上等ということ(なるほど.....)。坂と言えば岸田劉生の描いた『道路と土手と塀』を思い出す管理人ですが、この切通の坂もなかなかでは。僕的には一級坂か?

副会長を自任するタモリさんですが、必ずしも「坂」が好きということではなく、言ってみれば「高低差ファン」ということだそうです(ブラタモリ「銀座編」で、そう言ってました)。
 そのタモリさん、大学を滑って浪人が決まり上京して最初に出掛けたところが、知る人ぞ知る美しい河岸段丘で有名な群馬県は沼田市。駅を降りたって目の前に開けた段丘を見て息を吞み涙したという。

因みに、「河岸段丘(かがんだんきゅう)」とは川の流れに沿って浸食や隆起を繰り返すことによって生まれた階段状の地形のことをさします。
 
























「河岸段丘」............群馬県沼田市
成る程、高低差ファンとは言い得て妙です。それにしても絶景ですなぁ

実は管理人、沼田駅に降り立ち、この段丘を眺めたことがあります✌️埼玉からはあっという間なのでお勧めです。ついでに奥日光から続く120号線を逆走する(左側走行を遵守してくださいね;;)と「吹き割の滝」にも近い?かな。。こちらもお勧め(知らない方の方が多い様な)。

そう、「空間の偏り」でした。

古代より時の権力者は皆、俯瞰の視線をどう獲得するかに心血を注いできました。より高い位置からの視線の獲得は、そのまま防衛上有利になるということを熟知していたからです。
「ヒューマニズムは終わった」といったのは、M・フーコーですが、彼がその様に発想した根拠は、人工衛星によって嘗てないほどの上空からの視線を獲得した人間にとって、その存在は「砂粒」程にすぎず、最早人間を中心に据えて思考する事自体ナンセンスだ!ということのようです。

空間の分節、そして、偏り。人は昔も今も、自分を取り巻く環境をどう認識するのか、そして、それをどう意味づけするのか思考し続けています。
 
狩野永徳《上杉本洛中洛外図屏風》
 
ここで紹介する狩野永徳《上杉本洛中洛外図屏風》ですが、これは今で言ったら航空写真にあたるもの。時の権力者は、こういった俯瞰図が好きだ。というか、この視線こそ権力者の視線になる。発注主は足利義輝(室町幕府第13代将軍)。

この洛中洛外図、中央に重要なものを描き、都市景観を上空から見下ろしている。上杉本の描き方は、順勝手(右上から左下)と逆勝手(左上から右下)、それらが混在している意味で両方がオープンの両勝手という描き方がある。その家の向きによって約束事(Code)のある記号論的読み方が可能となる。絵巻物や挿絵はこの約束事がわかるとほぼ読める。(artscape アーカイブより)。

さて、こういったお話は、時を忘れて延々と続けてみたくなる管理人ですが、ちょっと前になりますが、この空間の偏りを曲にした歌詞に出会いました。おせーよ!と突っ込まれそうですが Princess Princess の「M」です。偶然にも徳永英明のカバーで聴きました。

だれにでもある「右側」を、こんなにも切なく深く、そして愛おしく謳った歌詞は、他にないと...............。
 
                   「M」   作詞:富田京子  作曲:奥居香
                          

   いつも一緒にいたかった
   隣で笑ってたかった
   季節はまた変わるのに
   心だけ立ち止まったまま

   あなたのいない右側に
   少しは慣れたつもりでいたのに
   どうしてこんなに涙がでるの
   もう叶わない思いなら
   あなたを忘れる勇気だけ欲しいよ
   
     You are only in my fantasy
     今でも覚えているあなたの言葉
     肩の向こうに見えた景色さえも So once again
     Leavin’for the place without your love

     星が森へ帰るように 
     自然に消えてちいさな仕草も
     はしゃいだあの時の私も


  いつも一緒にいたかった
  隣で笑ってたかった
  季節はまた変わるのに
  心だけ立ち止まったまま

  出会った秋の写真には
  はにかんだ笑顔ただ嬉しくて
  こんな日がくると思わなかった
  瞬きもしないで
  あなたを胸にやきつけてた 恋しくて

     You are only in my fantasy
     あなたの声聞きたくて
     消せないアドレスMのページを
     指でたどってるだけ So once again
  
     夢見て目が覚めた
     黒いジャケット後ろ姿が
     誰かと見えなくなってく So once again
     You are only in my fantasy
  
     星が森へ帰るように
     自然に消えて小さな仕草も いつまでも
     あなたしか見えない 私も
 
では、では🙌  
   管理人:東 日出夫  
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