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奥住先生と「母性」について
   
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奥住先生と「母性」について 
 この度、okuzumi-class.netを開設するにあたって、たくさんの方々に五十年以上も前の懐かしい写真や、薄れた記憶の中から当時のエピソードを絞りだしてお寄せ頂いた。当時の写真に、つい吹き出したり、涙ぐんだりしながら編纂する中で、ある共通した先生の振る舞いが浮かび上がってきました....。

F 組の僕らが持っていた「奥住像」は、表向き、今で言ったらジャイアン、当時で言ったらポパイに出てくるブルートの様に、心身とも強靭で父権の象徴だったような気がします。しかし、お寄せ頂いた皆さんのエピソードに目を通していると、それぞれのコメントに共振するかのように、僕の中での「奥住像」なるものが炙りだされてきました。それは、表層的なイメージとは大きく違っているものでした。
 
  例えば、こんな事例がありました....

今では考えられないのですが、当時の先生方は、生徒指導と銘打って当番制で繁華な駅前等を巡回なさっていました。高1の時、同級に青木君という「法外」をバランスよく自分に繰り込む達人がいて、僕は憧れと尊敬の念で彼のあとを追いかけていました。

ある日、彼が「昨日、学校の帰り駅前のパチンコ屋でけっこう出してたらさ、隣に大男が座るんだよ。チラ見したら何と奥住でさ、咄嗟に、どうですか!って手ですくった球をあげたら『早めに帰れよ。。』って背中をポンって叩いて帰ってったよ💦」ということ。頭の固い先生だったら、始末書か、場合によったら退学になっていたかも知れません。実際、同級生でパー券を売って退学させられた奴もいました(野球部で優秀なとてもいい奴だったのに)。
   
これは、ほんの一例で、他にも皆さんが寄せて下さったエピソードにあるように、採点ミス等生徒と教師という非対称な関係の中で生まれた微妙な問題や、就職問題の様な難しい人生の岐路に立たされた時の奥住先生の振る舞いは、強権的な父権というより、とても寛容で包み込むような「母性」を感じさせるものでした。それはいつもハンディをもつ者の立ち位置で、問題を抱えた生徒に深く配慮した振る舞いだったのです。

先生は今、病と闘っておられます。こういった現実を前にすると、僕はいつも旧約聖書『ヨブ記』を想い起します。善行を積むヨブに神は奇病という難題を課します。全ての財産と子供を失ったヨブは、神を呪う訳ですが、艱難辛苦を乗り越えた後には病から解き放たれ、財産も戻り、幸福な毎日を取り戻すという挿話です。

欧米の「神」は、僕らアジア人にとっては「自然」と同義です。恐らく先生は、病と雄々しく闘うというより、それもまた「自然」として寄り添うという構えをお持ちではと察します。僕らも今、そういった先生の姿に寄り添えればと祈っています。
 
 管理人:東 日出夫  
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