奈良(nara)について
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03/24加筆 奈良(nara)について
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奈良 薬師寺薬師三尊

今回は、取って置きのお話を。

ただし、とてもデリケートな部分もあるので慎重にお話したいと思います。

僕の父は、石川県は小松という、嘗て加賀藩だった歴史ある寺町出身で、小学校の頃に熱心な仏教徒となり両親を入信させたという、まるで宮沢賢治の様な信心深いパーソナリティをもった人でした。なので家の中には、どこかスピリチュアルな空気が流れていて、僕自身も家にあった仏壇の装飾をじっと眺めるのが好きな、ちょっと変わった子だったと思います。

そういった背景もあったからでしょうか、紆余曲折を経て僕は仏師の流れをもつ鎌倉彫宗家に入門しました。すでに25歳を過ぎていたので、この世界に入るには遅かったとの自覚から、毎日朝4時まで美術関連の資料を漁り、デッサン、スケッチ、デザイン、基礎刀法等の習得に明け暮れていました。当然、その中には日本美術を代表する仏像の資料もありました。


本尊台座
  来る日も来る日も美術に明け暮れていたある日、工房の棚に収蔵されていた奈良は薬師寺の薬師三尊の詳細な資料に目を通していた時、ある史実に出会います。

薬師三尊は、元は金箔に覆われた黄金色のブロンズ像でしたが、火災に見舞われ、その際金泊がブロンズに焼き付き得も言われぬセピア色の光沢を発っするようになります。
 資料によると、その像の背部の一部がパカッと開くようになっており、その蓋状の背の内側に、当時(飛鳥時代)の工人の銘が鋳造されていました。目を凝らしてよく見ると、そこには「別所」等、当時の位の高い渡来人の名が刻まれていたのです。

「?」....... 。「これって...... 日本人が創建し制作したものではなかった?」。

Mumumu...... そして、なぜ「奈良」なんだろう。。「奈(na)」、「良(ra)」だけでは、その出自が全く辿れない・・・。
 
 
薬師寺東塔
 
  「奈良」の出自が辿れない。。。

この問が、無意識に沈み込み、その後何十年も僕の中で静かにリフレインし続けます.......

大方の業界や県、そして全国レベルの公募展に入選、入賞をした僕は、老舗博古堂の暖簾分けはないことを知り、独立してアルバイトをしながら作家活動をスタートします。と言うと格好いいんですが、未だ作品だけでは食えずアルバイトをしながら個展を開くといった体でした。地下足袋を履いて植木屋さん、クーラーの取付け工事、ガラス工場、大きなタンカーの船底に溜まったヘドロすくい(これは朝が早く危険でしたが高額でした)etc

そんなこんなで、十年程経ったでしょうか、六本木や銀座を拠点として個展が廻るようになり、雑誌等のメディアにも採り上げられることで何とか作家然とし始めた頃、田園調布の親しい gallary から「新築祝いで龍を彫ってくれないかっていう依頼があるんだけれど.....」という問い合わせがありました。
 
 
永田町全国町村会館ホール
 
  発注元は、関東一円で一番大きな組織を持つヤクザの番頭役で、組長の新築祝いとのこと;; そして、僕の代表的な作品を女将さんが観たいと仰っているそうな。

僕はプロなのでヤクザの組長だろうが、某国の皇帝だろうが gallary の依頼とならば差別なく受ける。

「分かりました。では、永田町全国町村会館に納めた作品をご案内します」と返事し、後日先方から連絡があり京急川崎駅まで出向いて欲しいとのこと。
 当日、指定されたところで待っていると、高級車が横付けになり、運転席から若い衆が降りてきて後部ドアを開け「どうぞ!」っと。「ありがとうございます」と、一路永田町へ。。
 
 
永田町全国町村会館
 
  お見せした作品は抽象的だったので、多分女将さんは理解できなかったと思う。帰りの道々車の中でいろいろな話をした。みなさんご存知かもしれませんが、ヤクザの組長には在日の方が結構多い。川崎の I 会組長もそうで、女将さんも隠さずそのことを口に出しておられた。さばさばとさっぱりとした賢そうな美人で、話をして楽しかった。

季節は1月だったのか、朝鮮半島のお正月の行事や、半島は昔から隣国や中国の侵略を受けたので老舗というものが育たない等々興味深い話は尽きなかった。何の話からだったか覚えていないが......
僕:「僕、奈良の明日香・斑鳩が好きなんですよ」
女将さん:「私もなんです」
僕:「えっ、何故ですか?」
女将さん:「..... 明日香の土は黄色くて半島の土の色と同じなんです」
僕:「はぁ、そうでしたか。。」

女将さん:「先生、『なら(nara)』って朝鮮語で何ていう意味かご存知ですか?」
僕:「いや、知りません」
女将さん:「祖国=国っていう意味です」

....... つづく
 
 
明日香
 
3月7日
日起きました地元足利の山火事は、漸く鎮火しました。管理人は、遅くまで夜鍋と確定申告の準備等で他所の方からの一報で知ったという呑気さです (・・;) 多くの方々から安否確認のご連絡を頂き恐縮です。感謝。

さて「奈良」でした。

そう、この世界に入ってから20年近く継続して<NARA>を引き摺ってきたのも、「奈良」そのもののもつ文化の質の高さと並行して、今日の僕らには伺い知れない深い謎が、そこに横たわっていたことにあります。

ほんと偶然、朝鮮半島に出自をもつ方に出会い、それまでの重苦しい曇天が一気に晴れ上がった様な「解」を頂き、長らく錯綜と分断されていた「時」を取り戻した様な心持になりました。そして、「石舞台」を始め、「亀石」、「酒船石」、「亀型石造物」のもつ魅力と同時に寄り添うように張り付いた”謎”が解け、益々この地の魅力に惹かれ今日まで来ています。
 
 
石舞台
 
  確か『タモリ倶楽部』だったと思います「何か、明日香の大地に立つと、遠い昔、俺ここに来たことあるよなぁって、デジャブが立ち上がってくるんだよ。。」ってタモリさんも言っていました。僕もこの地を訪れる度に、全く同じ感想をもちます。
 因みに、天才タモリのもつ深みを如何なく発揮しているのは『ブラタモリ』ではなく『タモリ俱楽部』だと思っています。前者は、後者で扱ったものを人畜無害に、灰汁と脂身を抜いた謂わば『目黒の秋刀魚』として調理したもの。地理や歴史に潜む「ほんとうの面白さ」は『タモリ俱楽部』にあると僕は感じています。

さて、飛鳥路を訪れる場合、日本最古のブロンズ像である飛鳥大仏が鎮座する飛鳥寺に寄られる方も多いと思います。実は、あまり広くない境内の片隅に掲示板 ↓↓があり、そこには、今回の「奈良」の謎を紐解く鍵とも言える文言が謳ってあります。残念ながら、この行に気付いたのは『女将さん』に出会った後でした。
 
   
飛鳥寺




 
飛鳥寺境内の掲示板
 
   大分前、この「奈良」の出自について触れたコラムを僕の official web site にアップしたところ、何と1日に20000件のアクセスがあったことがありました。「アクセスログ」と言って、どこのページに、何時、どの位のアクセスが在ったか履歴を追うことができるので、いろいろ調べてみますと、どうやらお隣韓国からのアクセスの様なので、それ程関心を持たれる方が居られるならと、 google 翻訳に残された韓国語の履歴を、そのまま僕の official web site にリンク付しました。なので僕の official web site は、English と並んで Korian でも読むことができます。  
 
飛鳥寺から望む明日香




 
何故だか、明日香路には煙がよく似合う。




大和には 群山あれど とりよろふ

天の香具山 登り立ち

國見をすれば國原は 煙立ち立つ

海原は 鴎立ち立つうまし國ぞ

蜻蛉島 大和の國は 
                   舒明天皇 巻1‐2

  ところで、みんなさんは、芸術や芸能、そして音楽のアーティストは、特別な才能というか「能力」をもつが故にアーティストになるとお考えだと思いますが、実は違います。まっ、人とは違っている 「何かをもつ」、という意味では特別なのですが、別の言い方をすると、人が普通にもつものをもっていないが故に、人と違った「何かをもつ」ことで自分の欠損を埋めているとも言えるのです。その「何か」とは「表現すること≒(創作すること)」になります。

その「欠損」は、大きく言えば環境によってもたらされたもの、つまり胎児や幼児期に刷り込まれ獲得したのかも知れませんし、資質もあるかも知れません。何れにしても標準偏差値の中央値から外れたところで生きているということになります。ざっくりいうと、外れものというか変わり者ですね。戦後最大の歴史学者網野善彦の言う「無縁」に属する人種と言ってもいいと思います。

その意味では、マイノリティーですから、普段は半端者扱いされることも多々ありますし、良い意味でも悪い意味でも区別、あるいは差別されます。そういうこともあって無縁もののヤクザの「女将さん」ともすんなりと共鳴するというか、自然に同調出来たのだと思っています。
 
 
酒船石遺跡






















 
亀型石造物
 
  そう「奈良」でした。
先程紹介した歴史学者網野善彦は、「応仁の乱以前の日本は、余所の国と思っていい」というようなことを述べています。この「余所の国」とは、詰まり半島からの渡来人の造った文化(社会)という意味に近いと思われます。因みに、この網野さんは、「崎玉(sakitama)のこと」でも触れました宗教人類学者・中沢新一の叔父にあたります。

事程左様に、明日香には、朝鮮文化を色濃く反映する遺跡が多く発掘されています。そして、未だまだ十分に発掘されていない遺跡もたくさんあるように思います。事実、↑↑上の画像にある『亀型石造物』(もっと良い名を付けたい) は、平成12年(2000年)前に、この地を訪れたときには影も形もありませんでした。

当時、『酒船石』が、水の流れによって占う神事に使われたと言われていたので、きっと、その岩に刻まれた溝の先に何かあるに違いない.......と想像していました。そうしたところ、奈良県立万葉文化館建設中に偶然着工していた作業員が『亀型石造物』を発見することになります。

...... つづく
 
   
韓国済州島の石造物






明日香の石造物
 
  3月23日
何とか e-Tax にて確定申告も済ませられホッとしている三月彌生です。

そう「奈良」でした。

「奈」・「良」では、その出自が辿れない.....

..... とは言ったものの、古代においては、日本のオリジナルの文字があった訳ではないので、それまで日常で使っていた(=発音していた)「話し言葉」を”輸入言語”である漢字に置き直さなければなりませんでした。

また、漢字を習得するうえで土着の言語との関係付も必要となり、音読みの漢字をそれに当てることで代替していました。それが「万葉仮名」を派生させ、後に「ひらがな」の誕生に繋がります。

例えば、「a」という発音には「安」を、「i」という発音には「以」を使っていたわけです。
 

万葉仮名  
日本が独自に生み出した「ひらがな(女手)」ですが、元は中国大陸から朝鮮半島を経由して入ってきた、当時新興宗教であった『仏教』の伝来がその誕生に大きく関わっていました(もちろん、原典はインドですが、中国伝来の仏教とは大凡異なるものになります)

というのも、支配階級や僧侶を中心に始められた仏典の『写経』により漢字を習得することで、文字を会得することを飛躍的に加速させたからです。

その意味では、「奈(na)」も「良(ra)」も特別の意味があった訳ではなく、只の万葉仮名といえます。
 
「古今和歌集」 藤原行成筆
 
  つい、小難しい話に突入しそう..... なので、ここで話を変えますね。

言いたいことは、人名にしろ地名にしろ、ものに「名を付ける」ということは、想像を超えて重要だということです。

分かりやすい例をだすと.....

↓ 下の図は、宮崎駿の最高傑作『千と千尋の神隠し』のワンシーンで、黄泉の国?に迷い込んだ千尋が、行った先の湯屋を管理する湯婆婆に雇ってもらう際に取り交わした契約書です。

この後「萩野千尋」という文字は、湯婆婆の呪いで、はらはらっと舞い上がり紙面から消えてしまいます。「千尋」が「千尋」で無くなる瞬間です。
 
   
  「ひと」や「もの」に、もし名前がなかったとしたら、それはもう、この世に存在しないも同然。

たとえば「佐藤」や「小林」というい姓がなかったとしたら、ひとはその人をどう受け入れるのでしょうか。。Aさん、Bさんと抽象的に呼ぶとしても、それはまるで『無印商品』という印(名)のある商品と同じで、既に「A」という名前が付いているので、名がない訳ではありません。

「言語の地平が世界の終わりだ」と言ったのは、二十世紀の重要な哲学者ヴィトゲンシュタインです。難しいことを言っているようですが、千尋が、その名を失うことと同じ意味を指します。

このアニメでは、同じことを繰り返し訴えています。↓下のシーンも湯婆婆に雇われている少年ハクと千尋のやりとり.........
 
 











 
  「あなたの本当の名は、コハク川」
ハクの背中に乗って空を飛んでいるとき、千尋は小さいとき、川に流されたことを思い出す。そのときの川の名は「コハク川」。

このセリフで、ハクが名前を思い出し、本当の自分を取り戻す。千尋がハクの名前を思い出させる名場面。

「私の本当の名は、ニギハヤミコハクヌシだ!」ハクが空の上で、自分の本当の名前を思い出す。

自分が川の守護神であること、千尋がそこに流されてしまったことを思い出し、お互いの気持ちが通じ合う。    
 (「グリムCLUB」より
 
   
  『千と千尋の神隠し』、実は意外と難しいテーマを扱っていたんですねぇ。そして、深いです。この邦画が、昨年『鬼滅の刃』に抜かれるまで興行成績第一位だったということも驚きです。

遠回りしましたが、「奈良」にもどります。

「奈良」に代表される表記が、象徴的な意味を持ち、陰と陽を内に含みつつ、その後の日本の歴史を規定していきます。
 「漢字」のもつ意味を習得した後は、特に地名に関しては、事務的な意味でも、その出自が辿れるように名付ける方が合理的です。もし万葉仮名のまま使われ続けてきたとしたならば、そこにはかなりの確率で政治的な思惑を含んでいると考えた方がいいように思います。
 
 






「土師天神宮」.......足利市葉鹿町
 
  ↑↑上の画像は、僕の地元にある『土師天神宮』です。社とは呼べない位の、まるで祠の様な小さな建物です。昨年の突風で倒壊し道を塞いだ樹が、初詣に参った際そのままになっていたので、先日100均で鋸(滅茶切れない;;)を買い伐採しました。

この地域、現在は「葉鹿」と表記されていますが、元は「波自可里(はじかり)」、「土師」と呼ばれた古墳や埴輪、そして溶鉱炉を造営して製鉄・鍛冶・鋳物を扱う技術者集団の住む地を意味していました。古墳時代に、新羅から600人ほどの渡来人が日本各地に入り、その内60人ほどがこの地に住み高い技術を伝承したとされ遺跡も多く遺っています。

残念なのは「土師」を「葉鹿」と改名してしまったことです。京都や茨城には「土師」という地名をきちんと残している地域もあります。もちろん、当時の渡来人は、社会的地位も高く皆に敬われていたはずですが、時代が下ると差別階級に転落します。今で言う「在日」にあたるので。その意味で浦和に「別所」という地名が残されていることに、僕は、地域の知性と見識を感じます。
 
 
明日香
 
   今回、数十年の悶々とした時を、瞬きをして目を開けた途端に、ひゅっと素の「奈良」と重なったときのお話をしました。そして、僕らは「日本」について何も知らないことも。。
 この「日本」、いつからそういう「名」で呼ばれたのか殆どの方はご存じないと思います。網野善彦さん曰く「歴史学者はみな知っている」ということ。それは無理もなく、学校では教えないからでもあります。
 歴史上、最初に「日本」が登場するのは『飛鳥浄御原令(きよみはらりょう)』で、それまでは「倭人」と記して「やまと」、「小さき人」という意味で、大陸に対して卑下した言い方をしていました。もちろん、こうした物言いは生存戦略です。漢文を「男手」、平仮名を「女手」と呼んでいたことと同義です。

今の日本の、曖昧なものを曖昧なものに放っておくグズグズ感は、古代に敢えて「日本」を伏して振舞わざるえなかったことから来ているのでは..... と安冨歩東大教授が言っておられました。納得。
 
     
  昨年はコロナで明けコロナで終わってしまったので、海外からのインバウンドは殆どありませんでした。一昨年の韓国からの観光客が日本に落とした額は4800億円、対韓黒字は2兆円、これで嫌韓は自殺行為です。
 こういったことを書くと「お前は在日か?」と突っ込む輩もいますが、僕は、朝鮮文化を深くリスペクトする日本人です。

今回、「奈良」についてお話してきましたが、伝えたかったことは、己の出自は、たとえ都合が悪いことでも、しっかり直視し受容しないと未来をきちんと描けなくなるということ。COVID 19 のワクチンが打たれ始めましたが、変異株も生まれ先が見えないことには変わりありません。コロナ後の世界は一変しているでしょうし、劣化する日本が生き延びる術は、アジア近隣諸国と「上手くやってゆく」しかないということでもあります。

何だか意図せず堅い結論になってしまいましたが、確定申告とコロナ疲れも重なった故と御容赦願えれば幸いです。

では、では。
 
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